パチンコ 学園黙示録2

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つまり「暇を与えず疲れさせてしまえば反抗する気も失せ、健康にも良いだろう」ということで、北独連邦内収容所では戦争当初、仏捕虜は毎日5時間の無賃労働が課せられ、土木工事や製材などに従事させられました

この時間を超過した場合には相応の賃金が支払われる制度でしたが、捕虜収容所の収容人員が増えるに従って規定はかなり曖昧となり、超過労働は当たり前となり賃金も支払われない収容所が多くなってしまうのです

 このため、建前上は志願により賃金を支払って労務に従事することが定められ、同時に民間人の抑留者にも使役が行われることになりました

 とはいえ、これが完全に実施されたかと言えば怪しいもので、捕虜の多くは休戦に至るまで是非もなく多くの者が宿舎建築や練兵場や射撃場の整備や改装、軍の工場作業や道路の整備などに使役され続けたのでした

 独公式戦史は捕虜について多くは語らず、自軍の捕虜については記述がありません

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「行方不明」として「数」だけが残りますが、この数は軍医や軍官吏を入れても公式に12,879名で、仏は独捕虜を約40,000名としており、かなりの隔たりがあります

 また独公式戦史は、仏捕虜の多数が帰還後収容時の不満を口にした事実を無視し、こう結びます

「捕虜が激増したことでその処置について、時に失態があり特に輸送中の逃亡などが発生したが、戦争中独に捕虜として滞在した多数の仏人は、その給養や処遇について何ら不満を唱えることはなかった」(独公式戦史・筆者意訳)☆ 普仏戦争の決算 普仏戦争で独軍が被った公式の損害は次の通りです

○士官・軍医・官吏 6,247名○下士官兵 123,453名○馬匹 14,595頭○軍旗 1旒(但し仏軍は2旒と記録しています)○砲 6門(その他8月18日のグラヴロットの戦いで2門を仏軍に奪われますがメッスの開城で取り返しています)普近衛シュッツェン大隊兵 対する仏軍は1871年2月中旬の完全休戦までに、士官11,860名・下士官兵371,981名の捕虜を出して、これは独軍が全て独本土へ輸送しています

 パリでは士官7,456名と下士官兵241,686名が投降しました

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※パリ開城時に投降した仏軍○正規陸軍に属する軍人 士官4,542名 下士官兵125,178名○海軍に属する軍人 士官366名 下士官兵13,665名○護国軍に属する者 士官2,548名 下士官兵102,843名「パリ降伏・1871年1月28日」(エドゥワール・デタイユ画) 仏東部軍は士官2,192名・下士官兵88,381名・砲285門でスイスに越境し武装解除・抑留されました

 独軍が獲た戦利品は以下の通りです

○軍旗 107旒○野砲とミトライユーズ砲 1,915門○要塞砲 5,526門*携帯火器の総計は資料無し鹵獲された仏の野砲※普仏戦争で独軍が鹵獲した主な戦利品詳細○ヴァイセンブルクとヴルト会戦の結果*鷲旗・軍旗 5旒*野砲とミトライユーズ砲 25門○メッス近郊三会戦(コロンベイ・マルス=ラ=トゥール・グラヴロット)とその降伏の結果*鷲旗・軍旗 56旒*野砲とミトライユーズ砲 695門*要塞砲 876門*携帯火器 260,000挺○ボーモンとセダン会戦の結果*鷲旗・軍旗 9旒*野砲とミトライユーズ砲 461門*要塞砲 139門*携帯火器 66,000挺○ストラスブール攻囲とその周辺の戦いの結果*野砲とミトライユーズ砲 3門*要塞砲 1,213門*携帯火器 200,000挺○ロアール河畔の戦いとオルレアン確保の結果*鷲旗・軍旗 4旒*野砲とミトライユーズ砲 35門*要塞砲 52門○ロアール河畔以降の戦闘とヴァンドームの戦闘の結果*鷲旗・軍旗 1旒*野砲とミトライユーズ砲 22門○ル・マンへの行軍中*鷲旗・軍旗 6旒*野砲とミトライユーズ砲 17門*要塞砲 1門○仏北軍との戦闘の結果*鷲旗・軍旗 8旒*野砲とミトライユーズ砲 42門*要塞砲 29門○仏南東部の戦闘の結果*鷲旗・軍旗 5旒*野砲とミトライユーズ砲 30門○パリとその周辺*鷲旗・軍旗 4旒*野砲とミトライユーズ砲 605門*要塞砲 1,371門*携帯火器 177,000挺砲台の設置位置を事前偵察する独軍(ストラスブール)○要塞攻略・70年8月(リヒテンベルク、リッツェルシュタイン、マルサル、ヴィトリ・ル・フランソワ)*鷲旗・軍旗 1旒*要塞砲 75門*携帯火器 3,000挺○要塞攻略・70年9、10月(ラン、トゥール、ソアソン、セレスタ)*鷲旗・軍旗 2旒*要塞砲 346門*携帯火器 45,000挺○要塞攻略・70年年末まで(ベルダン、ヌフ=ブリザック、モンメディ、ティオンヴィル、ラ・フェール、ファルスブール)*鷲旗・軍旗 1旒*要塞砲 644門*携帯火器 77,000挺○要塞攻略・71年年頭から講和まで(メジエール、ロクロワ、ペロンヌ、ロンウィー、ビッチュ)*鷲旗・軍旗 2旒*要塞砲 409門*携帯火器 5,000挺○ベルフォール*要塞砲 341門*携帯火器 22,000挺○鹵獲場所不明*鷲旗・軍旗 3旒サント=マリー=オー=シェンヌのザクセン軍団(1870.8.18)※独軍の損害詳細(休戦後に占領地で発生した損害は含まず)○第一軍本営*負傷 士官1名○第二軍本営*戦死又は負傷後死亡 士官1名○メクレンブルク=シュヴェリーン大公軍本営*負傷 士官1名 下士官兵1名○近衛軍団*戦死又は負傷後死亡 士官172名・軍医1名・経理官1名 下士官兵2,706名 馬匹699頭*負傷 士官238名・軍医2名 下士官兵6,672名 馬匹378頭*生死不明(多くは捕虜) 士官1名 下士官兵219名 馬匹10頭○第1軍団*戦死又は負傷後死亡 士官82名 下士官兵1,595名 馬匹311頭*負傷 士官234名・軍医2名 下士官兵5,291名 馬匹317頭*生死不明(多くは捕虜) 士官3名 下士官兵460名 馬匹28頭○第2軍団*戦死又は負傷後死亡 士官61名・軍医1名 下士官兵807名 馬匹152頭*負傷 士官167名・軍医4名・軍医見習1名 下士官兵2,191名 馬匹83頭*生死不明(多くは捕虜) 士官1名・軍医1名 下士官兵165名 馬匹6頭○第3軍団*戦死又は負傷後死亡 士官172名 下士官兵2,655名 馬匹724頭*負傷 士官408名・軍医9名 下士官兵8,299名 馬匹331頭*生死不明(多くは捕虜) 士官1名 下士官兵394名 馬匹18頭○第4軍団*戦死又は負傷後死亡 士官63名・軍医1名 下士官兵826名 馬匹138頭*負傷 士官132名・軍医5名・軍医見習1名 下士官兵3,029名 馬匹159頭*生死不明(多くは捕虜) 士官1名 下士官兵197名 馬匹3頭○第5軍団*戦死又は負傷後死亡 士官97名・軍医1名 下士官兵1,697名 馬匹182頭*負傷 士官290名・軍医2名 下士官兵5,961名 馬匹164頭*生死不明(多くは捕虜) 士官1名 下士官兵846名 馬匹18頭○第6軍団*戦死又は負傷後死亡 士官17名 下士官兵282名 馬匹24頭*負傷 士官43名 下士官兵738名 馬匹8頭*生死不明(多くは捕虜) 下士官兵30名○第7軍団*戦死又は負傷後死亡 士官76名 下士官兵1,225名 馬匹247頭*負傷 士官207名・軍医1名 下士官兵3,991名 馬匹159頭*生死不明(多くは捕虜) 士官3名 下士官兵527名 馬匹17頭○第8軍団*戦死又は負傷後死亡 士官148名 下士官兵1,707名 馬匹406頭*負傷 士官315名・軍医1名・従軍牧師1名 下士官兵6,124名 馬匹434頭*生死不明(多くは捕虜) 下士官兵351名 馬匹15頭○第9軍団(第25「ヘッセン大公国」師団含む)*戦死又は負傷後死亡 士官119名 下士官兵1,799名 馬匹618頭*負傷 士官242名・軍医1名・軍医見習2名 下士官兵4,767名 馬匹254頭*生死不明(多くは捕虜) 士官2名・軍医見習1名 下士官兵174名 馬匹43頭○第10軍団*戦死又は負傷後死亡 士官110名 下士官兵2,128名 馬匹416頭*負傷 士官234名・軍医6名・従軍牧師1名 下士官兵4,704名 馬匹307頭*生死不明(多くは捕虜) 士官15名・軍医4名 下士官兵1,035名 馬匹62頭○第11軍団□第21師団と軍団砲兵等*戦死又は負傷後死亡 士官39名 下士官兵467名 馬匹230頭*負傷 士官130名・軍医1名 下士官兵2,023名 馬匹130頭*生死不明(多くは捕虜) 下士官兵171名 馬匹1頭□第22師団(1871年1月4日を除く・別記)*戦死又は負傷後死亡 士官55名・従軍牧師1名 下士官兵747名 馬匹225頭*負傷 士官167名・軍医2名 下士官兵2,749名 馬匹131頭*生死不明(多くは捕虜) 士官1名・軍医1名 下士官兵462名 馬匹5頭○第12「ザクセン王国」軍団*戦死又は負傷後死亡 士官104名・軍医1名 下士官兵1,331名 馬匹291頭*負傷 士官190名・軍医1名 下士官兵4,203名 馬匹264頭*生死不明(多くは捕虜) 士官5名 下士官兵1,009名 馬匹115頭普近衛猟兵大隊兵(1870-71)○第13軍団□軍団本営*戦死又は負傷後死亡 士官1名□第17師団*戦死又は負傷後死亡 士官49名 下士官兵644名 馬匹138頭*負傷 士官101名・軍医1名 下士官兵1,718名 馬匹113頭*生死不明(多くは捕虜) 軍医3名 下士官兵190名 馬匹9頭□後備第2師団*戦死又は負傷後死亡 下士官兵14名 馬匹2頭*負傷 士官6名・軍医1名 下士官兵84名 馬匹6頭*生死不明(多くは捕虜) 下士官兵13名□第22師団(1871年1月4日)*戦死又は負傷後死亡 士官11名 下士官兵102名 馬匹15頭*負傷 士官10名 下士官兵307名 馬匹20頭*生死不明(多くは捕虜) 士官1名 下士官兵89名○第14軍団*戦死又は負傷後死亡 士官47名 下士官兵715名 馬匹149頭*負傷 士官141名・軍医1名 下士官兵2,538名 馬匹133頭*生死不明(多くは捕虜) 士官5名・軍医7名 下士官兵293名 馬匹19頭○バイエルン王国第1軍団*戦死又は負傷後死亡 士官195名 下士官兵1,768名 馬匹536頭*負傷 士官350名・軍医1名 下士官兵6,964名 馬匹582頭*生死不明(多くは捕虜) 士官12名・経理官1名 下士官兵2,270名 馬匹141頭○バイエルン王国第2軍団*戦死又は負傷後死亡 士官71名 下士官兵737名 馬匹89頭*負傷 士官107名・軍医1名 下士官兵2,475名 馬匹91頭*生死不明(多くは捕虜) 下士官兵599名 馬匹1頭○ヴュルテンベルク王国野戦師団*戦死又は負傷後死亡 士官37名 下士官兵641名 馬匹121頭*負傷 士官79名・軍医1名 下士官兵1736名 馬匹80頭*生死不明(多くは捕虜) 士官1名 下士官兵178名 馬匹8頭○バーデン大公国野戦師団 ストラスブール攻囲兵団所属時と第14軍団所属時にそれぞれ加算しています

○ストラスブール攻囲兵団(後備近衛師団と予備第1師団を除く)*戦死又は負傷後死亡 士官9名 下士官兵77名 馬匹36頭*負傷 士官16名・軍医1名 下士官兵285名 馬匹24頭*生死不明(多くは捕虜) 下士官兵21名 馬匹12頭○ベルフォール攻囲兵団(予備第1師団と予備第4師団を除く)*戦死又は負傷後死亡 士官8名 下士官兵123名 馬匹5頭*負傷 士官32名・軍医1名 下士官兵492名 馬匹25頭*生死不明(多くは捕虜) 下士官兵56名 馬匹1頭○後備近衛師団*戦死又は負傷後死亡 士官6名 下士官兵67名 馬匹2頭*負傷 士官9名 下士官兵270名○予備第1師団*戦死又は負傷後死亡 士官10名 下士官兵210名 馬匹10頭*負傷 士官44名・軍医2名・経理官1名 下士官兵1,072名 馬匹13頭*生死不明(多くは捕虜) 士官4名・軍医1名 下士官兵349名○予備第3師団*戦死又は負傷後死亡 士官26名・軍医1名 下士官兵291名 馬匹46頭*負傷 士官51名・軍医1名 下士官兵1,338名 馬匹30頭*生死不明(多くは捕虜) 士官3名・軍医1名 下士官兵642名 馬匹18頭○予備第4師団*戦死又は負傷後死亡 士官12名 下士官兵222名 馬匹66頭*負傷 士官36名・軍医見習1名 下士官兵859名 馬匹27頭*生死不明(多くは捕虜) 士官2名 下士官兵414名 馬匹9頭○騎兵第1師団*戦死又は負傷後死亡 士官6名 下士官兵51名 馬匹163頭*負傷 士官24名 下士官兵193名 馬匹255頭*生死不明(多くは捕虜) 士官3名 下士官兵109名 馬匹133頭○騎兵第2師団*戦死又は負傷後死亡 士官6名 下士官兵42名 馬匹157頭*負傷 士官13名 下士官兵146名 馬匹218頭*生死不明(多くは捕虜) 士官2名 下士官兵83名 馬匹85頭○騎兵第3師団*戦死又は負傷後死亡 士官4名 下士官兵38名 馬匹102頭*負傷 士官4名 下士官兵79名 馬匹75頭*生死不明(多くは捕虜) 士官4名 下士官兵82名 馬匹107頭○騎兵第4師団*戦死又は負傷後死亡 士官6名・軍医2名 下士官兵62名 馬匹146頭*負傷 士官15名 下士官兵144名 馬匹270頭*生死不明(多くは捕虜) 士官5名・軍医1名 下士官兵150名 馬匹133頭○騎兵第5師団*戦死又は負傷後死亡 士官17名 下士官兵227名 馬匹519頭*負傷 士官52名・軍医1名 下士官兵692名 馬匹228頭*生死不明(多くは捕虜) 士官6名 下士官兵182名 馬匹443頭○騎兵第6師団*戦死又は負傷後死亡 士官13名 下士官兵137名 馬匹341頭*負傷 士官29名・従軍牧師1名 下士官兵285名 馬匹208頭*生死不明(多くは捕虜) 士官2名 下士官兵125名 馬匹135頭○兵站総監部と占領地総督府所属部隊*戦死又は負傷後死亡 士官9名 下士官兵162名 馬匹22頭*負傷 士官28名 下士官兵527名 馬匹29頭*生死不明(多くは捕虜) 士官16名・糧食部員1名・軍医見習1名・経理官1名 下士官兵616名 馬匹128頭○パリ包囲網攻城(要塞)砲兵*戦死又は負傷後死亡 士官9名 下士官兵80名 馬匹1頭*負傷 士官25名 下士官兵336名 馬匹1頭○パリ包囲網要塞工兵*戦死又は負傷後死亡 下士官兵1名*負傷 士官1名 下士官兵10名○野戦弾薬第1予備厰*戦死又は負傷後死亡 下士官兵2名*負傷 士官1名 下士官兵1名○第3野戦鉄道隊*負傷 士官1名*生死不明(多くは捕虜) 士官2名 下士官兵139名○第4野戦鉄道隊*戦死又は負傷後死亡 下士官兵2名*生死不明(多くは捕虜) 下士官兵2名◎独軍死傷者総計*戦死又は負傷後死亡 士官1,871名・軍医8名・従軍牧師1名・経理官1名 下士官兵26,397名 馬匹7,329頭*負傷 士官4,184名・軍医46名・軍医見習5名・従軍牧師3名・経理官1名 下士官兵84,304名 馬匹5,547頭*生死不明(多くは捕虜) 士官102名・軍医20名・軍医見習2名・糧食部員1名・経理官2名 下士官兵12,752名 馬匹1,723頭総計 士官6,157名・軍医74名・軍医見習7名・従軍牧師4名・経理官4名・糧食部員1名 下士官兵123,453名 馬匹14,595頭普近衛擲弾兵(1870-71)※軍属にカウントされない野戦鉄道隊に勤務した商務省鉄道局官吏の死傷数*戦死又は負傷後死亡 2名*負傷 5名*生死不明(多くは捕虜)27名 合計 34名※鉄道事故により死傷した官吏*死亡 14名*負傷 17名壁新聞を読むベルリン市民 独公式戦史は普仏戦争の戦記を以下のように結びます

「独仏民族の激しい戦いはとにかくも7ヶ月で終了した